貿易収支の推移

このテーマは日本対アメリカ二ヶ国間問題に集約されよう。円相場一つとっても対ドル相場が中心であり、海外旅行、輸入ブランド品趣味の若者たちには"円高"というのは直接感じる強さである。だが、自動車を中心に電機メーカーなど輸出中心の生産企業にとっては「ドル建取引」だけに死活問題であり、ひいては世界の工場を自負する日本にとっては不況の元凶でもある。1ドル360円時代は、持ち出し金額が税制され500ドルが上限だったのだが、それを円換算した額は大変な負担であった。

昭和39年、東京オリンピックの年に、給与3万円。そのとき500ドル分といえば18万円だ。約半年分の給与である。いま、500ドルは80円換算で4万円。OLの給与の20%程度と思う。あきれた格差だ。一概にこうした計算で計れないとは思うが、500ドルを5千ドルに直してみてもいまなら40万円。ま、サラリーマンの1カ月分の給与といったところか。これを裏返せば、貿易収支の超黒字分も、強い円の直接投資の還元であり、どうあがいても減りようがない。輸入拡大を図っても、円高差益分を増加させるだけでも追っつかない。

貿易収支 自動車輸出台数
昭和20年(1945) -18(百万ドル) (千台)
昭和21年(1946) -236
昭和22年(1947) -266
昭和23年(1948) -232
昭和24年(1949) -192
昭和25年(1950) 38 5.9
昭和26年(1951) -287
昭和27年(1952) -408
昭和28年(1953) -790
昭和29年(1954) -427
昭和30年(1955) -54 1.4
昭和31年(1956) -131
昭和32年(1957) -402 7.0
昭和33年(1958) 369 10.7
昭和34年(1959) 361 21.4
昭和35年(1960) 185 50
昭和36年(1961) -550 59
昭和37年(1962) 422 71
昭和38年(1963) -357 100
昭和39年(1964) 872 152
昭和40年(1965) 2,084 196
昭和41年(1966) 2,057 258
昭和42年(1967) 1,126 367
昭和43年(1968) 2,971 621
貿易収支 自動車輸出台数
昭和44年(1969) 3,718 865
昭和45年(1970) 4,439 1,094
昭和46年(1971) 8,420 1,786
昭和47年(1972) 8,333 1,967
昭和48年(1973) 789 2,071
昭和49年(1974) 3,940 2,619
昭和50年(1975) 5,843 2,678
昭和51年(1976) 11,148 3,710
昭和52年(1977) 20,335 4,333
昭和53年(1978) 20,531 4,601
昭和54年(1979) 2,438 4,563
昭和55年(1980) 6,766 5,967
昭和56年(1981) 20,358 5,048
昭和57年(1982) 20,141 5,591
昭和58年(1983) 34,546 5,670
昭和59年(1984) 45,601 5,109
昭和60年(1985) 61,601 6,730
昭和61年(1986) 101,648 6,605
昭和62年(1987) 94,034 6,305
昭和63年(1988) 95,302 6,104
平成5年(1993) 142,976 5,018
平成17年(2005)   5,053
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