米の小売価格の変遷
日本で稲作が始まったのは、縄文時代からだと考えられている。中国から九州へと伝わったとされる稲作技術によって、3000年以上前から日本人がお米をつくっていた。明治・大正の米騒動を経て、戦時下にコメが統制の対象になり農家は割り当て分を強制的に供出させられた。消費者は「米穀通帳」の配布を受け、決められた量だけの配給を受けた。
日本の食文化を象徴する米も、ブランド米の「コシヒカリ」から、数種類の産地の米を混ぜたブレンド米までその種類や価格はまちまち。これほどバラエティー豊かな種類と価格帯があるのは、政府がその流通の自由化を推し進めているからだ。じつは2003年までは、米の価格と流通は政府がしっかりコントロールしていたのである。それまで米といえば「計画流通米」と生産農家が直接消費者に販売する「計画外流通米」とに分けられていた。さらに計画流通米は、政府が買い上げる政府米と自主流通米とに分類され、その自主流通米の価格は、全国組織の全農が管理する自主流通米価格センターが決めていた。つまり、米の価格は市場原理によって上下するのではなく、国家の政策のひとつとして決められていたのである。しかも、流通についても政府が関与していた。たとえば、米を販売するには米の小売業として登録しなければならず、またその仕入れについても、やはり同じく登録した卸売業者から買い入れなければならないというシステムだ。いくら生産農家が望んでも直接小売店には売ることはできない。唯一できたのは、味に自信のあるブランド米を計画外流通米として消費者に直接売ることだけだった。
日本人の1人当たりの米消費量は、昭和50年代から下降が顕著となり、食事のカロリー摂取ではコメの依存率が60%を切り、家庭食はすでに50%を割っている。 理由はもちろんパン食の浸透である。
平均価格(東京) | 備考 | |
明治26年(1893) | 66銭5厘 | 大工の日当50銭 |
明治30年(1897) | 1円6銭5厘 | 下半期に凶作、恐慌状態起こる |
明治38年(1905) | 1円17銭7厘 | 東北地方大凶作、コメは平年作の30%以下 |
明治45年(1912) | 1円70銭1厘 | 東日本地方は2年続き天候不良、米価高騰。宮山県内で主婦の米騒動、欠食児増加に救援米要求 |
大正4年(1915) | 1円9銭 | 政府、米価調節令。これが逆効果で米価上昇。9月、東京の米相場暴落。11月株暴落 |
大正8年(1919) | 3円67銭1厘 | 政府、内地米生産不足時の応急対策作る |
大正9年(1920) | 3円72銭5厘 | 第1次大戦の戦後恐慌起こる。1月、生糸高騰。4月、株式暴落 |
昭和10年(1935) | 2円38銭5厘 | 米穀自治管理法案、米穀商の猛烈反対で流産 |
昭和20年(1945) | 3円57銭1厘 | 8月15日、太平洋戦争終戦12月、第一次農地改革 |
昭和21年(1946) | 20円11銭4厘 | 主食遅配、全国的に配給米以外のヤミ米横行 |
昭和22年(1947) | 76円34践2厘 | 東京のヤミ米、配給米の12倍 |
昭和23年(1948) | 222円96銭 | ヤミ米、7月、配給米の7倍、11月、7倍 |
昭和24年(1949) | 393円 | ヤミ米、4月は2倍。野菜19年ぶり統制撤廃 |
昭和25年(1950) | 445円 | 朝鮮戦争勃発。ヤミ米2倍。主食以外統制撤廃 |
昭和26年(1951) | 558円57銭 | 東京のヤミ米9倍、消費者登録制で米屋再開 |
昭和27年(1952) | 620円 | 配給米が完全精米。 |
昭和28年(1953) | 680円 | 農産物価格安定法公布 |
昭和29年(1954) | 765円 | 第1回日米農産物会議、余剰農産物処理問題 |
昭和30年(1955) | 765円 | 供出米制度廃止 |
昭和31年(1956) | 893円 | 農林省、農業人口過多、農政転換必要と発表 |
昭和32年(1957) | 810円 | 政府、解放農地の旧地主補償せずと言明 |
昭和33年(1958) | 870円 | 常用労働者の平均1カ月給与2万1061円 |
昭和34年(1959) | 870円 | 農業総生産額、戦後最高の1兆5833億円 |
昭和35年(1960) | 870円 | エンゲル係数38%、戦後初めて40%割る |
昭和36年(1961) | 870円 | 国会、農業基本法成立 |
昭和37年(1962) | 980円 | 米の需要ピーク、政府、農業構造改善政策着手 |
昭和38年(1963) | 975円 | 米の収穫量1300万t、戦後最高の豊作 |
昭和39年(1964) | 975円 | 農村で脱農高まる。5年間で16万戸 |
昭和40年(1965) | 1,125円 | 政府、経済実質成長率1%、消費者物価上昇率5%を目標 |
コシヒカリ | 備考 | |
昭和48年(1973) | 2,310円 | 石油危機で狂乱物価、米価にも影響 |
昭和49年(1974) | 3,100円 | |
昭和50年(1975) | 3,580円 | |
昭和51年(1976) | 4,010円 | 平均9.8%値上げ |
昭和52年(1977) | 4,370円 | |
昭和53年(1978) | 4,380円 | |
昭和54年(1979) | 4,390円 | |
昭和55年(1980) | 4,512円 | |
昭和56年(1981) | 4,742円 | 米の配給制廃止 |
昭和57年(1982) | 4,899円 | |
昭和58年(1983) | 5,012円 | 1世帯当りの所得伸び2.9%戦後最低 |
昭和59年(1984) | 5,195円 | |
昭和60年(1985) | 5,222円 | |
昭和61年(1986) | 5,240円 | |
昭和62年(1987) | 5,198円 | |
昭和63年(1988) | 5,173円 | |
平成5年(1993) | 6,225円 | 米の作況指数74、戦後最悪 |
平成11年(1999) | 5,979円 | 米の関税化の輸入 |
平成27年(2015) | 2,285円 | 5kg |