玩具は子供のドリームランド
平成のおもちゃと違い、昭和のおもちゃにはどこか無骨な感じある。だが、その不器用さに妙な味があるのも事実。骨太だけど温かい、そしてクスっと笑える・・それが昭和のおもちゃといえる。
ブリキのおもちゃ
日本でブリキのおもちゃが大量生産され始めたのは、1932年頃だといわれている。この頃、現在のトミーから『宙返り飛行機』が発売され、大ヒット商品となる。この商品を機に、日本でブリキ玩具の第一次ブームが始まった。1935年頃になると、ブリキだけでは飽き足らず、ブリキにゴムとセルロイドを組み合わせた新しいタイプのおもちゃが発売されて、さらに人気が過熱した。しかし、戦争開始と同時にブリキおもちゃは、生産中止に追い込まれてしまった。1945年、戦争が終わり、人々の生活の中に遊び心が芽生え始めた時代、ゴム動力で動くブリキのジープが発売された。長い間、戦争で苦しめられた人々は、ブリキのジープで遊べる時代に幸せを感じ、ブリキジープは人気商品となった。1946年には、さらに改良が加えられた、ゼンマイで動くブリキの自動車が発売。ちなみに、当時の価格は19円50銭だったと伝えられている。この頃、ブリキ玩具の全盛期を迎える。高性能の日本製ブリキ玩具は、『Made in OCCUPIED JAPAN』の刻印と共に、広く海外にも輸出されるようになった。さらに、アニメ放映が始まると、キャラクターもののブリキ玩具が積極的に製造され、日本国中にブリキおもちゃのブームを巻き起こした。
ソフビ
諸説あるが日本で最初の怪獣のおもちゃは、「マルサン商店のゴジラのプラモデルとソフビが最初だった」という説が有力である。 このゴジラのプラモとソフビが発売されたのが1964年。発売当時、そこそこの人気は出たが、全国的な大ヒット商品になるには至ら なかったという。ソフビが全国的に大人気となった最初の商品は、同じくマルサン商店から66年に発売された、『ウルトラQ』の怪獣 ソフビシリーズだと言われている。製造当時は問屋から「こんなモノは売れない」と言われたそうだが、問屋の見解とは裏腹に、多 いときには1日で8トン車3台分も出荷した、という逸話が残るほどの大ヒット商品となった。これを機に、さまざまなシリーズの怪獣 ソフビが発売された。しかし、その後、ソフビブームは一度沈静化した。その時、沈静化したソフビに再び火をともしたのがブルマ ァクだった。「1度、人気に影の出た商品は2度人気が出ない」と言われていた当時のおもちゃ業界に一石を投じるように、挑戦を続 けたブルマァクが業界のジンクスを突き破り、再びソフビブームを巻き起こした。このブルマァクの挑戦がなかったら、現在の日本 にこれだけの素晴らしいソフビが、たくさん残されていなかった、と言っても過言ではないだろう。
ファッションドール
1954年、マスダヤから『小鳩クルミちゃんミルクのみ人形』が発売されると、すぐに国内で大人気商品となった。その5年後の1959年 、アメリカで『バービー人形』が発売され、世界的なファッションドールブームが幕を開けた。1966年、日本の中嶋製作所より『ス カーレットちゃん』が発売。翌、67年にはタカラから『リ力ちゃん』が発売され、同時に『バービー人形』の輸入も開始されて、日 本中の女の子たちがファッションドールに夢中になった。発売されたファッションドールは、どれも大ヒット商品となり、「スカー レットちゃん』『リ力ちゃん」一ともに、妹や父親、母親などのドールも発売された。70年代に入ると、『リ力ちゃん』シリーズの 人気に影響を受けた、国内の各メーカーが、こぞってファションドールの開発に参入。アイドル歌手のドールなどが、続々と発売さ れるようになった。70年代後半になると、関節が動くドールが発売され、ポーズのアレンジが自由になり、ファッションドールの可 能性が広がった。その後、しゃべるドールや、歌うドールなどが開発され、現在も進化を続けている。
超合金
1970年代に黄金時代を迎えた超合金ロボットシリーズの大きな特徴は、アニメーションに忠実ではなく、子供が遊ぶ際に楽しめるギ ミックが沢山搭載されている点にあった。特に『マジンガーZ』で人気を得たロケットパンチは、それ以後に発売された、ロボ系超合 金にほとんど搭載されていた・・といっても過言ではない。また、各部に、バネ式のミサイルが仕込まれているモデルが多かったの も特徴。材質には、亜鉛合金が用いられていることが多かったため、初期モデルは可動部位が少なかった。しかし、開発研究が進む に従い、変形や合体などが可能になったモデルが発売された。こうしたモデルは『デラックス超合金(DX超合金)』と呼ばれ、人気 を集めた。ちなみに、日本初のDX超合金は『勇者ライディーン』といわれている。DX超合金の次は、時代は巨大化へと進んだ。その 後、超合金のデラックス化と巨大化は加速して進み、中には当時の価格で9800円という、子供のおもちゃにしては高価すぎる贅沢商品まで誕生した。
LSI
石油ショックによる資源危機への危機感から、省資源・省エネルギーが緊急の社会的課題となった。この課題に応えて、急速に進め られたのが、半導体=LSI(大規模集積回路)を軸とするエレクトロニクス技術の開発であった。石油ショック後の不況と停津の社会 の深部で、じつは新しいエレクトロニクス革命が急速に進展していたのである。そしてLSIあるいは超LSIの開発の成功は、コンピュ ーターや工業用ロボットの機能を飛躍的に高度化し、かつマイクロ化した。そして、LSIはオーディオ&ビジュアル機器やクーラーな ど電化製品にも応用され、さらにゲーム機器や玩具にまで活用されることになった。エレクトロニクス・ゲームやエレクトロニクス 玩具の登場である。1977年にテレビ・ゲームが登場、話題を投げた。そして79年には、テレビ・ゲーム・ブロックくずし(任天堂)やLSIポータブルゲーム・ベースボール(バンダイ)が注目を浴び、またインベーダーゲームがブームを呼んだ。そして80年から81年にかけて、ゲーム&ウォッチ(任天堂)が子どもたちに圧倒的な人気を呼び、エレクトロニクス・ゲームは完全に玩具市場の主力に成長した。
1983年に登場したファミリー・コンピューター(任天堂)と称するテレビ・ゲームは、小学生の男児に主導されて子どもの世界で圧倒的な普及を見せ、「ファミコン・ブーム」がまき起こったことは今さら説明するまでもないだろう。