1945
一億総懺悔-8月28日、東久邇宮首相が組閣後初の記者会見で「全国民総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結と信ずる」と発言。
浮浪児-空襲による戦災孤児が大部分で、靴磨きや物乞い、窃盗などを行って生活していた。大人の浮浪児とともに役所や警察の「狩り込み」(一斉収容)の対象になったが脱走する者も多かった。
洋モク-占領軍の米兵が吸っていた外国タバコ。モクはタバコの隠語。吸い殻拾いが普通だったこの時代、米兵の洋モクは憧れの的だった。
1946
あっそう-元旦に「人間宣言」をした天皇が民生視察=戦後巡幸を開始。視察中の会話でこの言葉を連発した。
タケノコ生活-極度の食糧不足に、人々は衣類と交換に農村に買い出しに出かけた。まるでタケノコの皮を一枚一枚はいでいくように衣類が交換されていくのでこう呼ばれた。
予科練くずれ-戦中、戦い、死ぬことをたたき込まれてきた若い世代は目標を失い無起動な行動に走ることが多かった。特に海軍飛行予科練習生は「予科練くずれ」として「特攻帰り」とともに恐れられた。
五百円生活-新円切り替えで、サラリーマンは給料のうち五百円までを新円で受け取り、残りが封鎖預金として銀行へ。これを五百円生活と呼んで宮仕えの窮乏を表した。
カストリ-どぶろくを蒸留してつくった密造酒。粗悪品だった。
1947
栄養失調-戦後の食糧危機のため配給の遅配、欠配が日常化。この年の10月、「法の威信に徹さねばならぬ」と一切のヤミを拒否した判事が栄養失調のため死亡。
アプレゲール-もとはフランス語の文芸用語だが、価値観の異なる戦後世代、特にその軽薄で無軌道な部分をさす言葉として流行。
ブギウギ-笠置シヅ子がリズムよくパワフルに歌う『東京ブギウギ』が人々をとらえ、『買い物ブギ』など多くの続編を生んだ。笠置シヅ子が「ブギの女王」に。
土曜婦人-住宅難で四畳半一間に何人もが寝起きするという生活の中で、二人きりの時間をもてない夫婦が週末だけ旅館に泊まって過ごすこと。
1948
サマータイム-この年公布された「夏時間法」により夏の間だけ時計の針を1時間進めて夏の昼間をフルに利用しようとした。実情にあわず52年廃止された。当時はサンマー夕イムとも呼んだ。
ノルマ-ロシア語。労働者が一定期間内に課せられた責任生産量のこと。この年5月にソ連からの引き揚げ再開第1船が函館に到着し、収容所での強制労働にノルマが課せられていたことが明らかになった。中には収容所で徹底的な共産主義教育を受け、上陸後いきなり行進したり演説したりするものも少なくなかった。その演説中で「我々は筋金入りのコミュニストである」と結んだことから「筋金入り」も流行語となり、以後思想的に堅固な人物を筋金入りと称した。
1949
吊るし上げ-保守反動的言動、徹底しない共産主義者を大衆が糾弾すること。
アジャパー-三枚目俳優伴淳三郎が浅草の軽演劇で用いた。山形弁で驚きを表す「アジャー」に、おしまいという意味の「パー」を組合わせて誕生。
駅弁大学-6334制の実施によって新制大学が続々誕生した。これを大宅壮一が「急行の止まるところに駅弁あり、駅弁のあるところ大学あり」と皮肉った。
自転車操業-金融引き締めによる不況下で、赤字が出てもとにかく操業を続けた方がましという操業の仕方を止まったら倒れてしまう自転車になぞらえた。
1950
ニコヨン-百円札2枚と十円札4枚の意味で、6月11日東京都が失業対策事業の日当を245円と決めたことから肉体労働の代名詞に。
特需景気-この年朝鮮戦争が勃発し、米軍発注による需要が日本の産業を潤した。米軍の直接需要は月平均3000万ドルに達し、「金へん糸へん」という言葉に代表される金属、繊維産業を中心に好景気に沸いた。
ヒロポン-戦中から使用された覚せい剤。戦後、芸能人や作家などの間に愛用者が急増、青少年にも広まったため、この年警視庁は取り締まりを強化。
1951
逆コース-真空論、戸締まり論などの再軍備が議論され、右翼政治家などの追放解除が相次ぐなど社会全般に戦前の復古調が漂う年になった。この風潮をとらえて連載された読売新聞の「逆コース」という特集から流行。
ワンマンカー-大阪市交通局が採用した、運転手だけで車掌のいないバス。この後徐々に普及していった。
エントツ-料金メーターを使わずにタクシーを走らせること。メーターのレバーを倒さずにエントツのようにたてて走ったことから。料金は運転手の懐に入った。
羅生門-黒澤明監督のこの映画がヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞。
1952
火炎ビン-菅生事件、吹田事件などで発火剤とガソリンを詰めた火炎ビンによる政治闘争がこの年相次いだ。
「忘却とは忘れ去ることなり」-以下「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」と続く、NHKの連続ラジオドラマ『君の名は』の冒頭ナレーション。放送時間には銭湯の女風呂が空になると言われたほどの人気。翌年には映画化され、ヒロイン役の岸恵子が長いショールを頭に巻き付けた「真知子巻き」が大流行する。
1953
街頭テレビ-この年NHKがテレビ放送を開始、民放第1号日本テレビも放送を開始した。しかし受除機は庶民には高嶺の花、そこで日本テレビは街角にテレピを設置し、街頭テレビが登場した。
トニー谷-「レディース・エンド・ジェントルメン・おとっつあん、おっかさん、グッドイブニング、おこんばんは」のように、日本語と英語をチャンボンにしたトニーグリッシュ言葉で人気に。「サイザンス」「家庭の事情」「ばっかじゃなかろか」も流行させた。
電化元年-この年から電気洗濯機を中心に家庭用電化製品が普及し始め、電化元年と呼ばれた。
1954
死の灰-ビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われ、日本マグロ漁船第五福竜丸が放射能灰を浴びて帰港、乗組員が原爆症と診断され、放射能を帯びたマグロが廃棄された。これらは秘密裏に行われたが読売新聞がスクープ、放射能灰を死の灰と名付けた。
空手チョップ-街頭テレビのスター、大相撲関脇からプロレスラーに転向した力道山の必殺技。次々と外人レスラーを倒して国民的ヒーローになった。
人間ドック-短期入院で精密検査を受けること。7月に東京国立第一病院で開設された。人間も船舶のように「ドック入り」して病気を早斯発見しようという意味で名付けられた。
ゴジラ-11月3日封切の特撮怪獣映画の題名で怪獣の名前。ゴリラとクジラを組み合わせたもので、水爆実験で目を覚ました古代の怪獣が東京で大暴れするという内容で、以後の怪獣ブームの先駆けとなった。
1955
ノイローゼ-漫画家谷内六郎がノイローゼから自殺未遂など、ノイローゼ自殺が相次ぎ、この医学用語が流行語になった。
最低ネ、最高ネ-舟橋聖一の小説『白い魔魚』のなかで用いられて流行。品性や程度を表現した言葉。
三種の神器-庶民にとってはまだまだ高嶺の花であった電気洗濯機・電気冷蔵庫、テレビをさしてこう呼んだ。
押し屋-朝のラッシュ時通勤電車の車両に乗りきれない乗客を押して詰め込むアルバイトがこの年国鉄新宿駅に初登場した。
1956
もはや戦後ではない-この年に発表された経済白書に用いられて流行した。同自書では「回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」と説いている。
神武以来-この年の国民経済は神武天皇の建国以来といわれる異例の好況を呈し、「神武景気」とうたわれた。以後「神武以来のバカヅキ」など多くの応用例を生んで流行した。
戦中派-戦後派でも、戦前派でもない、多感な時期を太平洋戦争中に過ごした世代を指す。評論家村上兵衛の造語。
ドライ、ウェットードライは「さばさばした」「割り切った」などの意味で主に太陽族的な無軌道を形容するために用いられた。ウェットは「湿っぽい」の意味で用いられネガティブなニュアンスを含んでいた。
書きますわよ-随筆集『女だけの部屋」で芸能界の裏側を暴露した俳優・医師の川上敬子の発言。森赫子の半年記『女優』、織田作之助の未亡人織田昭子の『マダム』など、男女関係の暴露ものの出版が相次ぎ、「書きますわよ」が脅し文句に。
1957
よろめき-不倫の意味。三島由紀夫の人妻の不倫を描いた小説『美徳のよろめき』から。「よろめき夫人」「よろめきドラマ」などと用いられた。
有楽町で逢いましょう-もとは東京に進出した大阪の「そごう」デパートの宣伝ソング。当時無名だったフランク永井が「低音の魅力」で歌い、大ヒットした。
ストレス-本来物理用語、言語学用語であったストレスを緊張や抑圧に対する精神の防衛的反応として転用したカナダの生理・病理学者ハンス・セリエが来日。これをきっかけにわが国でも広く普及した。
1958
フラフープ-直径約90センチのプラスチックの輪を腰で振り回す遊び。10月頃から大流行した。
ロカビリー-ロックンロールとヒルビリーから生まれたロカビリーがこの年大人気。山下敬二郎。平尾昌章、ミッキーカーチスのロカビリー三人男が大モテ。
ご清酢ご誠実で-皇太子と日清製粉社長商正田英三郎の長女美智子との婚約が発表され国を挙げてのミッチーブームに。発表当日の記者会見で皇太子の印象を述べた言葉が流行。
なべ底不況-神武景気の冷却を後藤誉之助はなべ底不況と名付け長期化を予想したがⅤ字回復と名付けられるほどの急速な回復を見せた。
1959
私の選んだ人を見ていただきます-3月2日に20歳の誕生日を迎えた天皇の5女清宮(すがのみや)貴子の記者会見で、
好みのタイプを尋ねられてこう答えたことから流行。選んだ人は旧華族家の銀行マン島津久永氏。60年3月に結婚した。
消費革命-経済自書でうたわれた言葉。消費の高級志向、文化志向を指した。
岩戸景気-一時冷却した景気は急速に回復、神武をさかのぼり「天の岩戸」以来だ、ということでこのネーミング。
通り魔-東京・荒川区でわずか1時間の間に9人の女性が自転車に乗った男に次々と胸を刺されうち1人が死亡するという事件が起こった。通り魔事件第1号である。犯人は検挙されなかった。
1960
安保反対-日米安全保障条約更新に対し全国的な反対運動が巻き起こる。
所得倍増-当時の池田内閣が発表した、翌年以降3年間の経済成長率を9%で維持し70年までの10年間で国民総生産と所得を倍増させようと言う政策。
インスタント-森永製菓がインスタントコーヒーを発売して以来、「即席」に代わってインスタントという言葉が流行し、インスタント時代が幕を開けた。
ダッコちゃん-夕カラから発売されたビニール製の黒人をかたどった人形。正式な商品名は『木登りウインキー』。腕に巻き付けるアクセサリーとして流行し、80万個を売った。次第に黒人蔑視ではないかとの声が高まり88年には生産中止。その時ダッコちゃんを使った社章も変更している。
家付き、カー付き、ババ抜き-現代女性の結婚の条件。「パパ」は姑を指す。
1961
レジャー-メーデーで「本格的なレジャーよ、やってこい」というプラカードが現れるなど、この年は空前のレジャーブームとなり、レジャーウェアからレジャータイまで関連商品もあふれた。
プライバシー-私事、私生活を他人に知られたくない権利のこと。三島由紀夫の小説『宴のあと』をめぐる裁判から流行。
アンネの日-「40年間女性を待たせた」のキャッチフレーズで登場した生理用品「アンネナプキン」の商品名のアンネが生理の代名詞として使われるようになった。
交通戦争-自動車事故3年連続して1万人を越えたこの年から盛んに用いられるようになった。
不快指数-アメリカで使われていた気象用語の邦訳。6月1日から気象庁で発表するようになったもので、気温と湿度の相関関係から割り出す。
1962
人づくり-池田首相が衆参院両本会議の所信表明演説の中で用いた。経済のみならず「文教の昂揚と刷新につとめ」「国づくりの根本たる人づくりに」努力するという内容で、「国づくり」とともに流行した。
無責任時代-クレージー・キャッツの植木等演ずる「平均(たいらひとし)」が『ニッポン無責任時代』などの映画で、「無責任」でうたいあげ、無責任な事件が横行する世相の流行語になった。
青田買い-好景気よる求人難時代を迎え、さらに日経連が4月18日、採用選考期日申し合わせを破棄したために学生の青田買いが横行した。
現代っ子-当時川崎市の小学校教師だった阿部進の「現代っ子採点法」から流行。
1963
流通革命-スーパー式による薄利多売の販売方式を理論的に裏付けた東大教授林周二著『流通革命』から。
三ちゃん農業-高度成長に拍車のかかった1962年頃から農村の青壮年層が都市部の工場などに働きにでるようになり、農村で農業に従事するのはジイちゃん、バァちゃん、カアちゃんだけということが多くなった。そのことをさして農村部で使われていた言葉を新聞などが取り上げて流行した。
公害-この言葉が生まれたのは、49年の「東京都工場公害防止条例」に逆上がるとされるが、60年代の高度経済成長の歪みとして公害が問題化した。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど各地で公害病が顕在化した。
巨人、大鵬、玉子焼き-当時の子どもの興味を集約した言葉。巨人と大鵬が大好きという純情な大人を指すために若干皮肉を込めて用いられた。
シェー-赤塚不二夫のマンガ『おそ松くん』に登場するイヤミ氏の独特のポーズ。猫も杓子も、ゴジラまでこのポーズをとり大流行した。『おそ松くん』は前年から『週刊少年サンデー』に連載が開始されたギャグマンガで主人公の六つ子たちよりイヤミやチビ太など奇天烈な脇役の活躍が受けた。
カギっ子-夫婦共働きの増加により、子どもが自分で鍵を持つ必要がでてきた。
小津安二郎-名匠は還暦の年の誕生日、この年の12月12日死去した。
OL-それまで働く女の通称BG(ビジネスガール)はバーガール、つまり売春婦と誤解されてしまう恐れがあるとしてNHKはこの年放送禁止に。『女性自身』誌はこれを受けて新しい呼称を募集し、オフィス・レディー=OLが誕生。
1964
ウルトラC-政界、経済界挙げての東京オリンピック開催のこの年、体操の技の難易度を表すこの言葉が「ものすごい」という意味で流行。
おれについてこい-東京五輪女子バレーボール優勝監督大松博文の同名著者ベストセラーになり流行。
根性-東京五輪レスリングチーム監督八田一朗の口癖から流行。
不定愁訴-第一製薬トランパコールのCMから。正式な医学用語ではないが、ストレスからくる肩こり、腰痛などのダルさに対して一般的に用いるようになった。
1965
しごき-5月22日東京農大ワンダーフォーゲル部の部員が監督と上級生のしごきによって1人が死亡、1人が重傷を負い、大学運動部のしごき体質が問題に。
べ平連-4月24日、小田実、開高健、鶴見俊輔ら文化人38人が発起人となって「べトナムに平和を!市民・文化団体連合(後、市民連合)」が結成された。ティーチイン、脱走兵援助などの活動を行った。1974年に解散。
夢の島-6月29日東京のゴミの埋め立て地「夢の島」発生した蝿の大群が江東区を襲い、島の存在がクローズアップ。7月16日火炎放射こよる撲滅作戦が行われた。
みどりの窓口-9月24日から国鉄の主要駅に登場。コンピューターを用いて、指定席券や寝台券を予約するもので、窓口業務が迅速になった。
1966
ビートルズ-6月29日イギリスのロックグループ、ビートルズが来日。翌日から日本武道館で3日間5回の公演を行った。売り上げ1億、警備経費9000万円、補導者6520人。
三食昼寝付き-専業主婦の生活をうらやんだ言葉。出典不詳。
ひのえうま-干支の43番目「丙午」生まれの女性は気性が荒く夫を食い殺すという迷信のため66年の出生数は135万9000人と1900(明治33)年以来最低を記録。
3C-カー、クーラー、カラーテレビの新三種の神器の頭文字。
ぼかぁ幸せだなあ-映画『エレキの若大将』の主題曲、加山雄三『君といつまでも』の途中のセリフ「幸せだなァ、僕は君といるときが一番幸せなんだ・・・」から。
1967
中流意識-6月27日の『国民生活白書』で自分が嘱する階層に関して上、中の上、中、中の下、下の5段階で質問したところ、全体の約半数が中と回答した。
アングラ-アンダーグラウンド(地下)の略だが、一般的には寺山修司、唐十郎に代表される前衛的な演劇、または舞踏、美術などの芸術を意味する。反体性的な思想も持っていたが次第に単なる風俗になっていった。
グループサウンズ-66年のビートルズ来日以降、ギター、べース、ドラムス程度の小編成のロックバンドが台頭してきた。
ボイン-大きいバストのこと。NTVの深夜番組『11PM』の司会者大橋巨泉の言で、朝丘雪路をからかったことが発端。反対語として「ナイン」も登場した。
ハプニング-TBSが『マスコミQ』で一般人にマイクを向けたことが発端で、同様の企画『ハプニング・ショー』が同局で登場。人々のナマの反応を楽しんだ。以後、「ハプニング」という語が「予期せぬ出来事」という意味で定着した。
核家族-夫婦だけ、夫婦と子どもだけの世帯を指す言葉。1971年には56.5%が核家族化した。
1968
ハレンチ-創刊されたばかりの『少年ジャンプ』に連載されていた永井豪『ハレンチ学園』が発端。このマンガはスカートめくりもはやらせ、PTAなどで問題になった。
イザナギ景気-1959~60年の岩戸景気を15カ月も上回る57カ月続いた超大型景気。3Cを中心とする消費ブームが景気を支えたといわれる。
断絶-アメリカの経常学者P.F.ドラッカーによる『断絶の時代』が語源。本の内容とは関係なく、世代間の交通不能を指す言葉として書名だけが流通した。
失神-女優応蘭芳が女性誌のインタビューで週に2回はセックスで失神すると答え、失神女優と騒がれた。また、グループサウンズのコンサートで、ファンが興奮のあまり失神するという騒ぎもたびたび起こった。
サイケ-サイケデリックの略。LSDなどの幻覚剤による感覚体験を表す。この感覚がデザイン、タイポグラフィーなど様々な分野で視覚化され、サイケ調と呼ばれる一つの風俗を形成するにいたった。
1969
エコノミックアニマル-がむしゃらに働いて高度成長を成し遂げた日本人に対する蔑称。最初に使ったのはパキスタンのプット大統領といわれ、そのときは「なかなかしっかりしている」という意味のむしろほめ言葉として用いられた。
フォークゲリラ-2月末頃から新宿駅西口の地下広場で反戦フォークソングを歌う集会が開かれるようになり、最盛期には1万人を集めた。7月19日警察は「広場」を「通路」と改め、交通法を根拠に運動を取り締まった。
野球拳-日本テレビ『裏番組をプッ飛ばせ』の中で行われたじゃんけんをして負けると衣服を一枚脱でいくというゲーム。
1970
歩行者天国-8月2日に銀座、新宿、池袋、浅草の4カ所で実施された。警視庁によれば人出は延べ78万5000人にのぼり、当初予想された50万人を大きく上回った。
ウーマンリブ-東京・渋谷で性差別を告発する初のウーマンリブ大会が開かれ、女性だけのデモ行進が銀座で行われた。
万博-3月15日から9月13日まで大阪・千里丘陵で日本万国博覧会が開催された。入場者のべ6421万8770人で万博史上最高。死者8人を出した。
鼻血プー-谷岡ヤスジ『メッタメタガキ道講座』で興奮して鼻血を出すことの過剰な表現に「プー」という擬音が使われたところから。このマンガからはほかにも、「アサー」「オラオラ」「ワレー」などの流行語が生まれた。
1971
脱サラ-しがない宮仕えをやめて独立すること。多くの脱サラ入門書が出版され、「脱サラ、脱家庭、脱日本」の三脱時代ともいわれた。
ピース、ピースージャンケンのチョキのようなボディーサイン。名称はアメリカのヒッピーが「平和」の意味で用いたところからきているが、勝ち誇るときや、写真に写るときなどに多用された。
日本株式会社-日本は政財界が一体となって外国企業との競争に乗り出すので日本がそのまま一つの株式会社のようなものだという意味。アメリカ財界人の指摘。
へンシーン!-石森章太郎原作の『仮面ライダー』が4月から放映され、ライダーに変身するときのかけ声が大流行。変身ごっこもはやった。
1972
日本列島改造-田中角栄が通産相時代に発表した開発計画。6月20日に発売された『日本列島改造論』は88万部のベストセラーとなり、田中の首相就任とともに日本は改造ブームに沸いた。
ナウ-新しい、今風、いい感じの意味で用いられた流行語。後、ナウい、に。
同棲時代-『週刊漫画アクション』に3月から連載された上村十夫の同名劇画から。アパートでの若者二人の同棲生活を描いたもので、翌年公開の同名映画では由美かおるのヌードポスターが話題となり、大信田礼子の同名フォークソングもヒットした。
恍惚-痴呆症の症状を指す。有吉佐和子著『恍惚の人』から。
中3トリオ-山口百恵、桜田淳子、森昌子の中3トリオ歌手が人気に。
1973
四畳半フォーク-かぐや姫『神田川』が大ヒット。60年代後半の「若者の時代」の挫折を経てフォークソングはひたすら内向し、四畳半フォークと呼ばれた。
石油ショック-10月6日第4次中東戦争が勃発。産油国が相次いで大幅な値上げと産油、供給制限を発表し、世界は深刻なオイルショックに見舞われた。実体より不安と噂が先行、便乗値上げが横行し、11月初めにはトイレットペーパーなどの買いだめパニックが起こった。
コインロッカーベビー-2月5日、東京・渋谷駅のコインロッカーから嬰児の死体が発見された。その後も同種の事件が多発、この年で46件を数えた。
「ちょっとだけよ」「あんたも好きねえ」-TBSの人気番組「8時だよ!全員集合」でドリフターズの加藤茶がラテンの名曲『タブー』に合わせてストリップの真似をしながら言うセリフ。子ども達には大モテだったがPTAはおかんむりだった。
1974
狂乱物価-この年消費者物価が前年上比6%という驚異的な上昇を示し、福田起夫蔵相は「物価は狂乱状態」と発言。上昇の原因は石油ショックであるが、その多くが便乗値上げであるといわれ、不当利益の返金騒ぎなどがあった。
超能カ-3月7日、日本テレビ『木曜スペシャル』に自称超能力者ユリ・ゲラーが登場、透視、スプーン曲げなどを実演し、以来超能力少年少女が続々と名乗りを上げて超能力ブームが巻き起こった。
中ピ連-1970年、「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)が榎美沙子を代表に結成されたが、この年さらに「女性を泣き寝入りさせない会」を結成、浮気亭主の勤務先などに押し掛け罪状をシュプレヒコールするなど身に覚えのある男性を震え上がらせた。
ベルばら-フランス革命を舞台に、男装の麗人オスカルの悲哀を描いた池田理代子のマンガ『ベルサイユのばら』が大ヒットし、宝塚歌劇団でも上演されたことからブームが巻き起こった。
金脈と人脈-『文藝春秋』11月号掲載の、田中首相の政治資金をめぐる疑惑をレポートした『田中角栄研究-その金脈と人脈』(立花隆著)から。
1975
あんたあの娘のなんなのさ-宇崎竜童率いるダウンタウン・ブギウギ・バンドのヒット曲『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』の中にでてくるセリフ。
乱塾-毎日新聞の『乱塾』という学習塾の実体を探る連載から。
落ちこぼれ-勉強が遅れがちで授業についていけなくなる児童生徒のこと。
1976
~さんちの~君-NHK『みんなの歌で放送された、みなみらんぼう作詞、作曲の『山口さんちのツトム君』が大ヒット、歌詞の「この頃少し変よ」とともに流行。
偏差値-テストの成績のバラツキを示す、平均を50とした数値のこと。テスト業者が学力判定用に用い、中学校の進路指導でも使われるようになった。
記憶にございません-アメリカのロッキード社が航空機の売り込みのために当時の田中首相などに37億もの不正政治献金をしたロッキード事件が発覚し、参議院予算委員会での証人喚問で田中首相の刎頸の友、小佐野賢治が連発。
1977
ふつうの女の子に戻りたい-伊藤蘭、田中好子、藤村美樹の人気アイドルトリオ「キャンディーズ」が7月17日,日比谷野外音楽堂のライブで突然「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言。翌年4月4日、東京・水道橋の後楽園球場でさよなら公演が行われ、5万人が集まった。
1978
カラオケ公害-前年からブームに火がついたカラオケによる騒音公害が激増。東京に騒音110番が設置され自治体は騒音対策に頭を抱えた。
サラ金-無担保で借りられる「サラリーマン金融」の呼称。高利子な上に暴力団とつながる業者もおり、返済できずに「サラ金地獄」に陥る人が続出した。
ナンチャッテ-都内の電車の中で「な-んちゃって」と人を笑わすおじさんがいるとの噂が1977年の秋頃から立ち始め、78年2月には朝日新聞に尋ね人広告まででたが、ギャグ作家小森豪人の作り話とわかり沈静化した。
不確実性の時代-アメリカの経済学者J・K・ガルブレイスの同名の著書から。この本は40万部を売り切ったが、時代の先行き不安感と、逆転もあり得るという期待感とを混在させて用いられた。
試験管ベビー-世界初の人工授精ベビーがイギリスで誕生して日本でも話題になった。
足切り-次年度から導入される国公立大入試の共通一次試験で、一定の点数に達しない受険生をふるい落とすこと。
1979
口裂け女-マスクをした女の人が「私きれい?」と声をかけ、「きれい」と答えるとマスクをはずして耳元まで裂けた口で笑う、という噂が全国を駆けめぐり、小中学生を震え上がらせた。
エガワる-ごり押し、ダダをこねる、という意味の造語。1978年の江川卓投手巨人入団時のルール違反問題がきっかけ。
天中殺-占い師和泉宗章の書いた『天中殺入門』がベストセラーになり流行した。古代中国の占いで天がその人に味方しない時期を言う。和泉はその後、占い告発運動を始める。
インベーダー-ゲームセンターや喫茶店に置かれて大流行したビデオゲーム。宇宙人やUFOをミサイルで撃ち落として点数を競う。インベーダー名人の少年を主人公にした、すがやみつるの漫画『ゲームセンターあらし』も人気をさらった。
ダサい-イナカくさい、野暮ったいという意味の若者コトバ。語源は「田舎」の音読みとも「鈍くさい」の転化ともいわれるが不明。
オジン、オバン-おくれた、年寄りくさい、ダサい人間という意味。
1980
ゼロ成長-経済成長率がゼロで推移すること。低迷を指すより環境汚染などの観点からむしろ積極的に目指すべきものとしても議論された。
カラスの勝手でしょ-ドリフターズの志村けんが、童謡「七つの子」の替え歌として流行させた。もとは笑福亭鶴光のラジオ『オールナイトニッポン・サンデースペシャル』だとも。
1981
アラレちゃん語-『週刊少年ジャンプ』に連載の鳥山明のギャグ漫画『Dr.スランプ』が大ヒット。主人公のアラレちゃんがつかう「んちゃ(こんにちは)」「バイチャ(バイバイ)」などが流行。
なめ猫-ガクラン(学生服)に、セーラー服のいわゆるツッパリスタイルをした猫に「なめんなよ」といわせるキャラクター商品が大流行した。仕掛人は名古屋のポスター製作会社「TOPファッションポスター」。
ロリコン-アメリカ作家ウラジミル・ナボコフの1955年の小説『ロリータ』から。幼児性欲を指すロリータコンプレックスの略。ロリータ漫画誌の創刊などによって目立ち始めるが、当初はスノップな大学生の知的アイテムとしても用いられた。
1982
ほとんどビョ-キ-テレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』の風俗レポーター、ポルノ映画監督の山本晋也が風俗産業のレポート中に連発した。すごい、あきれたという意味で用いられたが、ネガティブな意味あいは少なかった。
気配り-NHKの人気アナウンサー鈴木隆二のベストセラー著書『気くぼりのすすめ』から流行。
ネタラ、ネアカ-ネクラは根が暗いこと。ネアカはその逆,タモリが九十九一を指したのが最初とも、マンガ家のいしかわじゅんが言い出したともいわれる。フジテレビの『笑ってる場合ですよ』でコーナーができてからこの二分法が広まった。
逆噴射-2月9日、日航機が羽田空港至情を目前に東京湾に墜落、死者24人を出す事故の原因が機長によるエンジンの逆噴射操作であることがわかり、機長の異常な行動を説明する 「心身症」という言葉とともに流行した。
ひょうきん-フジテレビ『オレたちひょうきん族』から流行。「おもしろい」といった意味に使われる。番組はビートたけし扮する「タケちゃんマン」と明石家さんま扮する「ブラックデビル」「あみだパパア」の対決するコーナーに人気があった。
ルンルン-若い女の子が使う流行語。アニメ『花の子ルンルン』が起源といわれる。機嫌の良いとき、元気なときなどに「ルンルン気分」のように使う。
10倍楽しむ法-元阪神タイガースの投手江本孟紀の著書『プロ野球を10倍楽しく見る法』から。この後、「〇倍たのしむ…」類書が出た。
E.T.-スティーブン・スピルバーグ監督のSFファンタジー映画『E.T.』が、観客動員数1000万人と日本では最大のヒット映画になった。
1983
いいとも-フジテレビの昼の番組『笑っていいとも』で司会タモリの「~してもいいかな?」の合いの手として客席が答えた言葉。「○○の輪!」とともに流行。
軽薄短小-日本経済新聞社刊『時代は「軽・薄・短・小」』のタイトル。「軽くて、薄くて、短くて、小さい」という意味で、日本の生活、文化など様々な価面を的確に表現しているとして各界でこぞって用いられた。
義理チョコ-2月14日のバレンタインデーにチョコをプレゼントするのは菓子業界の戦略だったが、この日に「本命」以外の男友達や上司などに「義理」で配るチョコのことをこう呼ぶようになった。
積み木崩し-俳優穂積隆信の同名の著書が250万部のベストセラーに。一人娘の非行を妻の日記をもとにドキュメントしたもので、家庭内暴力が問題になっていた世の共感を呼んだ。
1984
マルキン、マルビ-主婦の友社刊、渡辺和博著『金魂巻』の中で用いられた。マルキンは金持ち、マルビは貧乏人のこと。現代の職業を31取り上げてそれぞれのケースでの金持ちと貧乏人の行動をイラスト入りで解説。
かい人21面相-3月18日の江崎グリコ社長の誘拐事件に端を発したグリコ・森永脅迫事件の犯人グループがこう名乗った。
ピーターパンシンドローム-子どもだけの幻想の国に住まうピーターパンのように大人社会への参加を拒否する青年の傾向。アメリカの心理学者D.カイリーの著書名から。
レトロブーム-懐古趣味や復古調のモノが流行。ファッションやインテリアなども時代がかったものがよしとされた。
1985
新人類-作家中森明夫の造語といわれる。生まれたときから高度経済成長の恩恵を受け、マスメディアによる文化を共有体験として持つ世代のことと定義されるが、旧世代には理解できない若者という意味で用いられる。
金妻-TBSの連続ドラマ『金曜日の妻たちへ』から生まれた。不倫願望のある妻のことを指した。
お二ャン子-フジテレビ、夕方5時台のバラエティー番組『夕やけ二ャン二ャン』が中高生を中心に大ヒット。番組に登場する女子高生グループ「おニャン子クラブ」が人気に。
ダッチロール-航空機が機休を8の字を描くように蛇行しながら飛行すること。8月12日、520人の犠牲者を出して単独隣では史上最悪の事故となった日航ジャンボ機墜落事件で、奇跡の生還をはたした4人の内の一人、日航社員落合由美がこの言葉を用いて墜落直前の機の状態を説明した。
やらせ-ワイドショー番組の取材でリンチ場面のでっち上げが発覚。この言葉が一気に流行した。
1986
お嬢様-芦屋の令嬢誘拐事件や、皇太子の妃探しなどがきっかけでお嬢様がブームに。お茶、お花、書道など「お嬢様っぽい」ものがクローズアップされた。
ゲンキ-ビートたけし『元気が出るテレビ』、『朝日ジャーナル』から流行。意味はそのまま。元気印、など。
とらばーゆ-就職情報誌の名称。転職することを「とらばーゆする」などという。
家庭内離婚-精神的にも肉体的にも離婚したも同然の夫婦が主に離婚後の生活の不安、子どもの存在などの理由から離婚できないこと。同名の本(筑摩書房、林郁著)もでた。
1987
地上げ屋-都市部などの地価上昇を背景にビル用地などの買収を強引に行い、大手不動産業者に売却して利益を得る業者。悪質な嫌がらせなどで社会問題になった。
グルメ-もとは仏語。飽美食家といった意味。雁屋哲・花咲アキラ『美味しんぼ』や寺沢大介『ミスタ一味っ子』などの料理漫画やTV料理番組でブームになった。
フリーアルバイター-定職に就かずにアルバイトで生計を立てている若者。略して「フリーター」ともいう。社会的責任から逃避しているものと分析する人もいる。
朝シャン-女子高生などが、朝起きて洗髪(シャンプー)すること。シャワー付きの洗面台や手間いらずのリンスインシャンプーがヒット。この夏の水不足で、水道局から文句が出たこともあった。
1988
バブル景気-1986年12月からはじまった好景気は1991年9月まで58カ月連続し「いざなぎ景気」を抜いて戦後最長を記録した。その後に泡のはじけるように深刻な不況に陥ったこともあってこの好況をバブルと呼ぶようになった。
マル優廃止-4月1日、少額貯蓄非課税制度、いわゆるマル優が廃止になり預貯金の利子には一律20%の課税となった。サラリーマンなど比較的少額の貯蓄者が少しでも高利回りの金融商品を求めはじめ、マネーブームに火をつけた。
しょうゆ顔、ソース顔-女性誌『non・no』が発端。しょうゆ顔とは中井貴一や明石家さんまのような日本的な涼しげな顔。ソース顔は郷ひろみのように彫りの深いエキゾチックな顔。
DINKS-double in comenokids-いわゆる「子なし共働き」の夫婦である。
ぬれ落ち葉-雨後の落ち葉がぺタリと張り付くように、定年退職後の男性が妻にまとわりついてゴロゴロしていることを妻の側から言う言葉。粗大ゴミと同義語。
ドーピング-禁止薬物の不正使用のこと。ソウル五輪男子100m決勝で驚異的世界新記録をマークしたカナダのベン・ジョンソンが筋肉増強剤の使用で失格となり、この言葉が一般にも広く知られるようになった。
自粛-昭和天皇の重病により世間に流れた社会的ムード。パーティーやイベントの中止が相次ぎ、「自粛の自粛」ムードも高まったりした。
1989
消費税-4月から消費税が導入されほとんどすべての商品に3%の課税がなされた。
マドンナ-女性議員候補の台頭で、マドンナ旋風が起こった。「マドンナ議員」「マドンナ旋風」などと使われた。
セクハラ-性的嫌がらせの意味で「セクシュアルハラスメント」の略。職場で男性上司や同僚が女性社員に対して性的な働きかけを行い、応じないときは不利な立場に追い込むこと。気軽なジョークなどもセクハラと指摘された。86年頃から言葉としては存在していたが、セクハラと略して盛んに用いられるようになったのはこの頃。
オタク-自分のごく狭い興味範囲に内向してしまう人間を指した言葉として以前から存在したが、この年の幼女連続殺人事件によって一挙に社会問題化。
イカ天-1987年頃からのバンドブームのピークとしてTV番組『いかすバンド天国』がヒット。出場バンドが次々にデビューを果たした。
ヒロセタカシ現象-反原発を訴えた広瀬隆の著作『危険な話』に共感した若者や主婦らに「とにかく原発はイヤだ」という類の反原発運動が起こる。これをヒロセタカシ現象という。関連して、ロックバンド「RCサクセション」の反原発ソング『ラブ・ミ一・テンダー』を含むLP『カバーズ』が発売中止となり話題に。
おやじギャル-栄養ドリンクを飲み、パチンコ・競馬をし、居酒屋、赤提灯に通うなど、OLを中心とする女性のおじさん化のこと。店や街の紹介が中心の雑誌『Hanako』を片手に、街を闊歩する「Hanakoギャル」とも重なるところが大きかった。