1945
・GHQ-GeneralHeadquartersの呼称。占領下の日本を統括する連合軍総司令部のことで、本部は東京・有楽町の「第一生命館」にあった。
・マッカーサーの命により-占領下、マッカーサーの命令は最優先事項であった。そこから反抗しがたい意見に不可抗力で屈したときの弁解として用いられた。
・ギブミーチョコレート-チョコレートちょうだい、という意味。進駐軍に対して子どもたちはチョコレートなどをねだった。
・進駐軍-無条件降伏した日本に対して連合国側は「占領軍」を派遣したが、日本政府は「敗戦」を「終戦」 と呼んだのと同様に、これを「進駐軍」と呼んだ。
・四等国-マッカーサー元帥が9月の記者会見で「日本は世界の4等国に転落した」と発言し、国民は敗戦の事実を突きつけられた。
1946
・オフリミット-国中至る所にGHQによる「OffLimits(立ち入り禁止)」の札が立てられたところから流行した。
1947
・GIベビー-GIと日本人女性との間にできた子ども。
1950
・レッド=パージ-マッカーサーが共産党中央委員徳田球一ら24人の公職追放を指令、これを皮切りに本格的な赤狩りが始まり、7月18日には共産党機関誌『赤旗』が発行停止になり、各界の共産党員とそのシンパが追放された。12月10日までに民間24企業でその数1万970人を数える。
1951
・老兵は死なず-恐れられもし、敬愛されもしたマッカーサー元帥がトルーマン大統領によって突然最高司令官の職を解任され、本国アメリカに帰国し、帰国後議会で「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という名セリフを残した。
・マッカーサーの日本感-マッカーサーは離日から1カ月後の5月5日、米議会上院軍事・外交合同委員会で、極東情勢などについて証言し、その中での不用意な発言が5月16日付『朝日新聞』に報じられ、日本人の自尊心を深く傷つけることになった。マッカーサーは、日本人はすべての東洋人と同じく勝者にへつらい敗者を軽視する傾向があるとし、さらに、日本人は現代文明の標準からいえば45歳というわれわれの発達度に比べて12歳の少年みたいなものである、と述べた。これに対して、吉田茂は『回想十年』の中で「自由主義や民主主義政治では日本人はまだ若いけれど」という意味であり、「将来の発展はすこぶる有望」と強調しているのだと弁護しているが、この発言以降、マッカーサーに対する日本人の尊敬の念は急速にしぼんでいった。
1952
・ヤンキーゴーホーム-この年4月28日、対日講和条約が発効して日本が独立したが、700カ所を越す米軍施設は安全保障条約に基づいて居座り、次第に基地反対、安保反対の機運が高まった。