テレビ放送最初の日

戦争により中断されていたテレビ研究は、終戦後、GHQがテレビ研究を軍事研究の一環とみなしたため禁止され、再開できたのは1946(昭和21)年7月のことだった。NHKやメーカーの研究者・技術者は「テレビ同好会を発足させ、1948(昭和23)年にはNHKが本放送に向け公開実験を再開一方、民間でもテレビ放送実現に向けての動きが始まっていた。1950年2月、東京・砧のNHK技術研究所の中に実験局が設置されると同時に活発になった。

同月15日に、戦後初のテレビドラマ「結婚アルバム」が制作された。山本嘉次郎作、山口淳演出、東京放送劇団の出演だった。当時使用されたカメラは感度が鈍いアイコノ・スコープだったので、1万から2万ルックスの照度が必要で、映画撮影用の大型ライトを数個も集中させたため、関係者は高温に悩まされた。

緊張と不安の中、スタジオが映し出された

1953(昭和28)年2月1日。日曜日ということもあり、千代田区内幸町の放送会館(当時)付近は、革も都電も少なく、遊行く人もまばらだった。放送会館の周囲には、吉田茂首相をはじめ各界名士から贈られた花環がずらりと並び、上空には 「NHK東京テレビジョン開局」と書かれたアドバルーンが、雲一つない青空に浮かんでいた。本放送は午後2時から、開局記念式典の番組で開始される。式典の司会を命じられていたアナウンサー・志村正順は、まゆを描かれ、厚化粧され、局が用意したモーニングを着込んでスタジオ内を歩き回っていた。テレビカメラの前に立つのは初めてだ。数々の名放送でアナウンサー史に名を残す志村だが、今までの城であったラジオとはまったくの別世界にほうり込まれたようで、戸惑いを感じていた。

テレビ放送最初の日、受信契約を済ませていたのは、東京で664、視聴可能地域全体でも、わずかに866。その多くが、アマチュアの自作受像機だった。何しろ大学新卒の初任給が8000円程度だったこの時代に、テレビ受像機はアメリカ製の17インチが25万円前後、国産14インチでも17、18万円もしたのだ。受信契約第1号になったのは抽選で選ばれた東京・北区の村上重三郎さん。村上さんは2月1日当日に15歳の誕生日を迎えた中学生だったが、父親が息子の名前で受信契約を結んでいた。スタジオには、しだいに異様とも思われる緊張感と不安感が漂い始めた。そして午後2時。「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります……」と第一声が流れ、第一スタジオから開局式典の模が、白黒の画面に映し出された。古垣織郎NHK会長が挨拶に立った。本日は、日本文化史上に画期的な1ページを開きます、誠におめでたい日でございます。今日ただいま日本のテレビジョンの新しい時代が招来するのであります」。招かれたのは約150人。緊張のあまりか絶句する挨拶者もいて、スタッフが機転を利かせて助け船を出すハプニングもあった。このハプニングはしかし、副調整室にいたプロデューサーやスタッフの緊張を解きほぐすことになった。

式典が終わり、尾上椿事ら菊五郎劇団による舞台劇(道行初音旅)「みちゆきはつねのたび)が始まった。芸能班には5人のスタッフしかいない。その一人、前年に入局した合川明は、地下室でボイラー室からふろおけにお湯を運んでいた。歌舞伎俳優は、上演後白粉(おしろい)を洗い落とすためふろに入る。しかし、局内には宿直用の汚いふろしかない。そこで合川は前夜、トラックでふろおけを買い出しに行き、急ごしらえのふろ場を造ったのだ。この日までの数か月、合川の残業時間は毎月200時間にも及んだ。「どうしてそんなに残業ができるのか。寝る時間もないではないか」と、庶務から文句がくるが、本当だからしょうがない。家にも帰れず、宿直室に泊まり込むこと度々。「ある時などは、徹夜続きで同僚と玄関で寝ていたら、出勤してきた会長に、お前ら何してるんだと怒られたこともありました」。それでも、自分たちがこれから新しい世界を切り開いていくんだ、という誇りと若い情熱が重労働を支えていた。

夜7時半からは日比谷公会堂から、ラジオの人気歌謡番組(今週の明星)がテレビでも同時中継された。これも、スタジオでの祝賀番組が終了すると、カメラをはじめすべての放送機材を分解して運び、準備したものだった。出演者はベテラン歌手が多かったが、テレビは初めてとあって前奏の間どこを向いていいのかわからず、ソワソワする出演者もいた。しかし笠置シヅ子だけは衣装の模様にも気を配り、もう慣れきっているという雰囲気で歌った。

長かった一日が終わり、局内のそこここでは、ささやかな酒宴が開かれていた。合川たち芸能班は大森の料亭に繰り出し久しぶりのふろと乾杯でめいてい。「それでもすぐ次の日からは、(ジェスチャー)の準備に入りました」。

翌2月2日、22人の新人アナウンサーが入局した。編成局長訓示の後、22人を代表して、杉山邦博が答辞を述べた。「くしくもテレビ本放送の年に入局した私たちアナウンサーは、新しい時代の夜明けの中から第一歩を記したわけです」テレビ時代の申し子たちが、フロンティア精神で模索しながら、新しいテレビの教科書を作っていこうと決意を新たにしていた。同年8月28日、民放テレビ局第1号日本テレビが開局した。こうして時代はラジオからテレビへとゆっくり回転を始めた。

テレビ初日の番組表

NHK東京テレビジョン開局

午後
2:00 「NHK東京テレビジョン開局にあたって」あいさつ・古垣NHK会長、祝辞・緒方竹虎国務大臣、安井東京都知事
舞台劇 (連行初音旅)尾上梅幸(静御前)、尾上松緑(佐藤忠信)、清元延寿太夫、竹本田太夫、菊五郎劇団ほか
3:00  映画
3:30  (オペラよもやま話)藤原義江、太田黒元雄、松内和子
6:30  (子供の時間〉歌 古賀さと子 バラエティー (四つの星座) 中川ツルーパーズ
7:00  (ニュース映画)
7:15  (天気予報)話・和達清美
7:20  (ニュース)
7:25  (番組予告)
7:30  (今週の明星) 霧島井、笠置シヅ子、高倉敏ほか(日比谷公会堂よりラジオ同時中継)
8:00  (漫才)「君のあだな」リーガル千太・万苦
8:15  (現代舞踊)「日本の太鼓」 江口隆哉・宮操子舞踊団、東京フィル 指挿高田信一
8:45  (受信者の皆様へ)

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