戦後昭和史 | 昭和の子供番組

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戦後生まれの子は子供番組を見て育った

NHKのページで紹介しているとおり『おかあさんといっしょ』は幼児番組の草分け。『うたのえほん』は昭和36年に始まり、41年に『おかあさんといっしょ』に統合されるまで続く。この番組からは数々のヒット曲が生まれた。「元気に1、2」は「大きく、大きく、大きくなあれ・・・という体操の歌だ。「いぬのおまわりさん」はラジオの『うたのおばさん』時代から歌われ『うたのえほん』で大ヒットした。「サッちゃん」や「おもちゃのチャチャチャ」は大人にも親しまれた名曲だ。子どもたちに特に人気があったのは「アイアイ」というお猿の歌だ。人形劇番組の歴史は古い。初期には影絵やマリオネットか多かった。戦前の日本ではギニョール(手使い人形)よりもマリオネット(糸あやつり人形)を芸術的で高級なものとみなしていたそうだから、その伝統が戦後も生きていたのだろう。

並木翠

民放の番組は昭和38年から54年まで続いたNTV「ロンパールーム」アメリカで好評を得ていた幼児番組をアレンジ。アメリカ国内のボルチモアがオリジナル。ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスをはじめ、カナダ、オーストラリア、北アイルランド、イギリス、プエルトリコでも放送されていた。遊びながら自己表現や創造力などを養えるよう構成。参加出演する子供たちの先生役は「みどり」を名乗り、初代は並木翠。並木は番組開始前にニューヨークへ渡り、世界各国の先生と共に本番組制作の研修を受けたという。うつみみどり(現:うつみ宮土理)は2代目。「おやつの時間」というコーナーがあり、出演する子供にお菓子や牛乳が出て美味しそうに食べるのを見て羨ましかったものだ。

おはようこどもショー

同じくNTV「おはようこどもショー』(昭和40~55年)は目覚まし時計代わりが狙いで子ども二ユース、アニメ、人形劇など幼稚園児や小学校低学年にあわせたメニューがいっぱい。石川進と楠トシエが進行役で初代マスコットキャラ「ロバくん」は、愛川欽也が声を担当し、ロバくんも子どもたちに大人気だった。体操のおにいさんに峰竜太らが出演し約15年間続いた。

フジテレビの『ママとあそぼう!ピンポンパン 』(41~57年)番組の中で行われるピンポンパン体操が大流行。「ガンバラナクチャ・・・」と大人も一緒になって遊んだものだった。この「ピンポンパン体操」はオリコンの童謡チャートで1位となり、200万枚以上を売り上げる大ヒットを記録し、1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。毎回、番組のラストに新兵ちゃんの「おもちゃへいこう!」の掛け声を合図に、出演者の子供たちがスタジオセットの大木、「おもちゃの木」の節の中に用意されたおもちゃを取りに行く様子は、テレビの前の子供たちを羨ましがらせた。また河童のキャラクター・カータンやデベロンも人気を集めた。

『木馬座アワー』(NTV 41~45年)は藤城清治の作ったぬいぐるみ人形劇。失敗にめげず、いつも新しいことにチャレンジするカエルのケロヨンが主人公。「ケ~ロヨ~ン」とか「バッハッハ~イ!」などの流行語が生まれた。ケロヨンの人気はすさまじくキャラクター商品もたくさん発売された。「木馬座アワー」の放送終了後も、ケロヨンの主演で「ケロヨンと遊ぼう」、「ケロヨンと三人組」という続編が放送されたほどだ。木馬座は舞台などで人形劇興行を主な目的とした人形劇団。司会の森あき子とネコのブーヨ。

トッポジージョ

『トッポ・ジージョ』(TBS 昭和42年) いたずら好きでかわいいイタリア産ネズミ人形が跳ねまわる愉快なファンタジー。“産みの親”のマリア・ベレーゴが来日して人形操作。子供たちのアイドルになりトッポ・ジージョ旋風を巻き起こす。山崎唯の独特の声も大人気に。

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