戦後昭和史 | 昭和の特撮

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昭和の特撮ヒーロー

本格的なテレビの時代、エレクトロニクスの時代は昭和33年12月、東京タワーの完成とともに幕をあけた。東京タワーの出現はまさに事件だった。それ以前にもトランジスタラジオなど"世界一小さい"日本製品はあったが、"世界一大きい"と誇れるものはなかったからだ。朝鮮戦争の特需景気で復興を果たした戦後日本の象徴というのが、より正確な位置づけだろう。当時の子どもはそんなことを知る由もなく、東京タワーを日本の誇りのように思い、一種の人格すら認めていた。それはテレビ映画を作っている大人たちも変わりがなかったようだ。来るべきエレクトロニクス時代を先取りし、子どもたちに企業イメージを売り込むために、各家電メーカーが特撮番組を提供した。月光仮面や七色仮面は拳銃以上の武器を持っていなかった。

月光仮面は怪獣マンモスコングを相手に、無謀にも拳銃だけで戦いを挑んだりした。しかしナショナルキッドになると科学の粋をこらした万能兵器・エロルヤ光線銃を手にすることができた。なにしろナショナルキッド は、タイトルバックで松下電器のネオン広告塔から東京タワーまでのコースを飛行してみせるほどだから、スポンサーの威信がかかっている。実際、特撮にかける予算も多く、登場するメカのデザインなど現在の特撮番組よりも未来的で洗練されていた。人工衛星と空飛ぶ円盤ブームによる宇宙への関心も、この種の番組の背景として特徴をなしている。

東芝提供の『遊星王子 』も松下提供の「ナショナルキッド」も、しばしば画面に自社製品(テレビ・トランジスタ等)が登場したり、テレビ局が舞台になったりする。 未来と科学のすばらしさを描く一方で、もはや戦後ではないといった世の風潮に合わせるかのように、戦前型のヒーローも復活していた。国産テレビ映画第二号の『月光仮面』や『豹の眼』などもかなり大時代的だったが『快傑ハリマオ 』は時代錯誤的ですらあった。その原型は戦時中の国策映画『マライの虎』であり、ハリマオの正体は日本の特務機関の手先である。番組スポンサーは森下仁丹。このころ仁丹は敗戦で失った旧植民地の市場を回復しつつあり、そこで「企業イメージに合う」番組として『快傑ハリマオ』を提供したという。こうした戦前型ヒーローは科学と怪獣の力には勝てず、やがて姿を消していき、怪獣、メカものへ方向を変える。

ウルトラQ

「ウルトラQ」は円谷英二が初めて手がけた特撮TV映画であり、ウルトラマンシリーズの原点となった1966年にスタートした不滅のSFドラマ。オリンピックの「ウルトラC」にタイトルのヒントを得たこの番組は毎回完結のアンソロジーで石坂浩二の不気味なナレーションと共に送り出される不思議な映像は恐ろしくて正視できない子供も多かった。手塚治虫の「ワンダー3」のウラ番組としてスタートしたが視聴率は常に30%台で圧勝。7時30分からの「オパケのQ太郎」と共に日曜7時の時間帯は「恐怖のQQタイム」と呼ばれ他局の脅威の的となった。現在では到底考えられない製作費としっくりと時間を費やして作られた「ウルトラQ」は万人が認めるカリスマ的作品になったのである。

ウルトラマン

「ウルトラQ」に続き、出るべくして出たともいえる巨大特撮ヒーローの最高峰「ウルトラマン」が登場するや一気に怪獣プームが盛り上がった。科学特捜隊のハヤタ隊員をまちがって殺してしまったM78星雲の宇宙人・ウルトラマンはその償いとして地球にとどまることを決意。スベシウム光線・八ツ裂き光輪等の必殺技で地球を襲う怪獣たちを打ち倒していった。変身すると太陽エネルギーが消耗するためカラータイマーが点滅するとい設定には皆手に汗を握って画面を凝視していたものだ。そして驚くべき事にこの作品は人間と宇宙人の友情物語なのであった。宇宙人であるウルトラマンが地球人のハヤタを好きになるストーリーの奥には何故我々は人間同志のくせに仲良く出来ないのだろ、という隠されたテーマがあったのである。ともれ「ウルトラマン」には自然・科学・人間に対する少年の夢と希望が全てつまっていた。

ウルトラセブン

「ウルトラセブン」は「ウルトラマン」を一歩進めたコンセプトにのっとり、地球防衛軍の組織描写を筆頭に、全てがグレード・アップした特撮シリーズだった。反面、「ウルトラマン」の持つ明るさ、朗らかさが失われ、代わりにクールな触感が伝わる、よりSF色が濃い内容となり、それは陰と陽の関係であった。王と長嶋にたとえると、セブンが王、マンが長嶋でありON砲が無敵であったのと同様にこの2作品は日本が世界に誇る特撮ヒーロードラマの最強シリーズなのである。子供の憧れの全てがこの2作品にあった幸福な時代だ。「セブン」後、円谷プロは自ら怪猷ブームを否定する方向へ走り、「怪奇大作戦」「マイティジャック」と怪獣とは別の意味の「センス・オブ・ワンダー」を追求していった。しかし笛吹けど子供踊らず、「マイティジャック」頃から「ゲゲゲの鬼大部」や「河童の三平」等の「妖怪」ブーム、「巨人の星」等の「スポ根」ブームが台頭し、怪獣の時代は終わろうとしていた。

仮面ライダー

NET(現テレビ朝日)昭和46年4月3日よりスタートした「仮面ライダー」は、翌47年9月には20%を越す超人気番組となった。この年の初めより売り出された、カルビーの「仮面ライダースナック」(当時は15円で一時20円に)の袋の中に入っている「ライダー・カード」欲しさに、菓子を買ってもカードをすぐに抜き出すや、中身はそのまま捨てる子供が続出し、"食べ物を粗末にしている"と新聞の投書欄をわかせた。その結果、社会的影響を考えたメーカー側は生産中止へと追い込まれた。PTAの噛みつきにあって余儀なく生産中止となったのが49年初め。番組はその後も2号、V3、アマゾン等と続いたが、視聴率はみるみるダウンし、TBSに移った後、50年4月終了した。

戦隊ヒーロー

ヒーローといえば、普通は特定のキャラクターを指す言葉と相場は決まっていた。「ウルトラマン」も「仮面ライダー」も、番組タイトルとなっているキャラクターそのものがヒーローであり主人公だった。それが変わったのは後に"戦隊シリーズ"と呼ばれるジャンルの第1弾ともいうべき「秘密戦隊コレンジャー」(1975年)からである。集団で悪と闘う魅力を余すことなく発揮し始めたのはゴレンジャーが最初だった。いわば"集団ヒーロー物"ともいうべき作品の元祖が、このゴレンジャーだった。それはまさに、昭和40年代の前半と後半で、"怪獣ブーム""変身ブーム"とTV特撮の人気ジャンルが分けられたように、昭和50年代前半(ゴレンジャーの第1回放映は昭和50年4月5日)を代表するにふさわしい新ヒーロー像だったといえる。主人公のキャラクターも、それまで作られていたTV特捜とは違って、改造人間や宇宙人、超人ではなく、生身の人間が特殊強化服(ゴレンジャースーツ)を着た、等身大の人間であり、普段は青春を楽しむ青年というのも新鮮だった。

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