カスリーン台風
一面の湖になった埼玉県八代村付近。台風のもたらした豪雨で、利根川上流の秩父山岳地帯では600ミリの雨量を記録した。このため15日から16日にかけて利根川を始めとする関東一帯の河川で増水、堤防が決壊した。利根川の決壊は茨城と埼玉両県の3カ所・約900㍍に及ぶもので、明治41年以来40年ぶりのこと。決壊から6日目の21日には昭和天皇かお忍びで被害の大きかった北埼玉郡を視察した。
福井地震
壊滅状態になった福井市内。北陸地方を襲った大地震で福井県の金津・丸岡・春江・吉田の4町では全家屋か倒壊、福井市でも市役所などの耐震建造物を除くほとんどの建物か倒壊した。市内では地震直後に火災か起こり、ほぼ全域を焼き尽くした。このように狭い地域に大きな被害を与えることになったのは、震源地が内陸の地表付近だったため。また、地割れ収縮現象が日本で初めて観測された。この福井地震の死者数は関東大震災以来最大の3769人となった。
洞爺丸台風
猛スピードで日本海側を抜け北海道に上陸した台風15号・洞爺丸台風は、26日室蘭で最大瞬間風速55メートルを記録。付近では家屋が倒壊するなど大きな被害があった。また、青森県下でりんごの最大8割程度が落果するなど、農作物被害も甚大。この台風では盛漁期のサンマ漁船など、過去最大・約6000隻の船舶に被害があったか、突風をついて出港した青函連絡船・洞爺丸も函館港七重浜沖で座礁・沈没、海難事故では戦後最大数の死者をだした。
伊勢湾台風
水浸しになる倒壊した家々、三重県桑名都長島町。猛威を振るった台最15号・伊勢湾台風の上陸時の中心気圧は929.7ミリバールで戦後2番目の低さ、もっとも被害の大きかった名古屋市では名古屋気象台開設以来最高の最大瞬間45.7メートルを記録した。工業地帯を含む中京地区は暴風雨で壊滅的被害を受け、桑名で蛤が全滅、伊勢湾で真珠の7割が影響を受けるなど、産業工業ともに大きな損害を出した。尚この台風が上陸した9月26日は、54年に洞爺丸台風、58年に狩野川台風が上陸した日にあたる。
北陸豪雪
1960年末から61年初にかけて、北陸地方では通常雪の少ない海岸地方に雪を降らせる「里雪」現象により、富山気象台開設以来の大雪となった。上越・信越・北陸の各線では、駅など一時停車した約100本の列車がそのまま雪に埋もれて立ち往生、約1万人の乗客は車中泊を余儀なくされ、配られた吹き出しやパンで年を越した。
有珠山噴火
最初の鎮火で噴き上げる黒煙。1万2000メートルにも達した噴煙は北海道のほぼ半分の地域に灰を降らせ、上空では全日空機のフロントガラスにひびを入れた。突然の大電火が起きた時、洞爺湖温泉街には「昭和新山火祭り」に訪れた8000人の観光客が滞在中、逃げ惑う人々で町はパニック状態に陥った。また、この後続いた火山活動で小有珠は縮み、「中有珠」新山ができるなど、有珠の山容は大きく変化した。
宮城県沖地震
宮城県沖約100キロで発生したこの地震では、コンクリート壁やブロック塀の崩落・崩壊で死傷者が続出、コンクリート建材の防災上の危検性か問題化した。被害は震源地の宮城県下に集中し、仙台新港では石油タンク3基に亀裂が入り、約6万キロリットルの重油が流出。県内だけで老人や子供など、全死者数の大半の27人が死亡した。
日本海中部地震
能代港では護岸工事の作業具ら34人、また男鹿半島の加茂海岸では遠足の小学生13人が津波にさらわれるなど、秋田県下で津波被害が相次いだ。この地震では津波警報の遅れが問題となったが、原因は秋田県庁防災課職員が、本来ならば市町村・福祉事務所にも流すはずの一斉無線を消防本部にしか流さなかったことによる人災。最大数の死者を出した能代港では、津波の後に警報が伝わるありさまで、関係者の怒りをつのらせた。
三原山噴火
この噴火は割れ目噴火としては応永28年以来565年ぶりで、安永6~8年以来209年ぶりの大規模な噴火となった。溶岩は600メートル、火山弾は2000メートルまで噴き上げ、溶岩流は大島最大の集落・元町地区の1キロ手前まで迫った。火山活動が活発化するにつれて、島内各地で山火事や停電が起きたほか震度5の強震を含む有感地震が相次ぎ、全島民の1ヶ月に及ぶ避難生活を余儀なくされた。